多和目城 (たわめじょう) (田波目城)
最寄地 埼玉県坂戸市西坂戸4丁目15−20 2013.11.21 2016.10.20
多和目城 (たわめじょう) (田波目城)
最寄地 埼玉県坂戸市西坂戸4丁目15−20 2013.11.21 2016.10.20
登城ルート
説明板
左が主郭・右が外郭(配水池)
城跡標柱
主郭北側土塁
主郭北東隅の土塁
多和目城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 高麗川左岸の標高113mの城山にあり、2つの長方形の郭から構成されている。南側は高麗川に浸食された断崖となっており、北側に土塁が設けられている。
西側の外郭に「城山配水池」が設けられ、東側の雑木林が主郭で北側に土塁が残っており北東隅の土塁は折れがあり、外側に腰郭が見られる。
空堀などの防御施設は埋まっているのかほとんど見られない。
【案内】 県道74号線「多波目」交差点より北に行き、市道「多和目」交差点を左折し1.2km行くと「城山橋」がある。
左に城山が見え、更に約1.7㎞行った坂戸団地(坂戸市西坂戸4-15)の南に説明看板が建てられている(地図)。すぐ北側の「西坂戸運動公園」駐車場が利用できる[マップコード91 325 607*63] 。
説明板の左側に配水池へ行く道があり、外郭の北半分が「城山配水池」でフエンス南側に「田波目城跡」の標柱が建てられている。
【歴史】 築城時期は不明であるが、北条左衛門佐氏堯の持ち城と云われる。
史実は少ないが、大永四年(1524年)川越城主の扇谷上杉氏が、毛呂城の前に「多和目大かけ城」を攻めた時に、柏原の住人の半貫内膳が参戦し、高麗の新節次と合戦したと記されている。(1779年、柏原の長谷川家にある文書)『坂戸市教育委員会説明板』より。