根古谷城 (ねごやじょう)
所在地 千葉県八街市根古谷690 2015.4.5
根古谷城 (ねごやじょう)
所在地 千葉県八街市根古谷690 2015.4.5
入口・説明板
説明板
虎口・天満宮
主郭・土塁
南側空堀
根古谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 天満宮(表記番地)の北側の水田との間の道路横に入口があり、説明板が建てられている[マップコード27 496 223*05](地図)。
水田を挟んだ北側の丘陵はその姿から「寝釈迦」と呼ばれている。
入口より民家の横を南に行くとすぐ鳥居があり、腰郭がある。虎口・土塁を入ると、左の最高所に天満宮が建てられ、横に「天神社」の石碑が建てられている。
約40m四方の主郭には植樹され、土塁が一周良く残っている。南から西にかけて空堀があり、外側の2郭跡は、民家、畑となっている。
【歴史】 享徳年間(1452~55年)の関東地方の動乱の時、千葉氏の家臣円城寺氏によって築城されたと推定されている。
その後、康正元年(1455年)八月の千葉氏の滅亡によって、円城寺氏も滅び、粟飯原(あいはら)氏が城主となったとみられる。
それ以後の詳細は明らかでないが、天正十八年(1590年)北条氏の滅亡と共に、落城した。『八街市教育委員会説明板』より。