和歌城 (わかじょう)
所在地 茨城県結城郡八千代町若338-6 2018.2.17
和歌城 (わかじょう)
所在地 茨城県結城郡八千代町若338-6 2018.2.17
北側遠景・五輪塔案内標識
2郭北の土塁
1郭北の土塁
1郭・五輪塔説明板
縄張り図
五輪塔
和歌城 1郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 太田城の北西約300mの台地にある。遺構は少ないが、1・2郭の北辺に土塁が残っている。
観応の擾乱の敗者の一人として、下総に逃れた播州赤松氏の一族赤松祐弁(1330~1409年)を供養する五輪塔が、1郭に祀られている。
【案内】 龍昌院より細い道を入った表記番地が2郭で、東の無住居宅が1郭で石造五輪塔が祀られている[マップコード123 333 149*62]。
3郭は1・2郭の南から東にかけて畑となっており、1・2郭の北辺に東西方向に土塁が伸びているが、竹林となり余りはっきりしない。
【歴史】 文明年間(1469~87年)下妻多賀谷氏の勢力が鬼怒川以西にも及び、八千代の土豪はその旗下に入った。
永正年間(1504~21年)末、和歌十郎が小田原の北条氏に通じていることが発覚し、多賀谷家植は飯沼城主赤松民部に命じ十郎を討たせた。以後、この館の管理は赤松氏に委ねられた。
天正十七年(1589年)多賀谷重経の長子多賀谷三経が入り、太田城を築いて移る天正十九年(1591年)まで在城した