烟田城 (かまたじょう)
所在地 茨城県鉾田市烟田1366 2021.8.19
烟田城 (かまたじょう)
所在地 茨城県鉾田市烟田1366 2021.8.19
西光院
西光院北側の空堀
氷川神社
氷川神社横の土塁
説明板
空堀
烟田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 鉾田市烟田の北東から南西に伸びた台地先端に築かれており、城域は西光院から氷川神社までと広い。
旧新宮小学校用地や西光院となり遺構は大部分消滅しているが、西光院に土塁、空堀が残され、氷川神社背後に土塁、空堀が残っている。
【案内】 南側の県道より北に行った「西光院」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード162 828 409*54]。
駐車場東側に土塁が見られ、本堂北側に空堀が東西に伸びている。
西光院南の道を西に行った旧新宮小学校校庭の西側に空堀と土塁が残り、説明板が建てられている。
【歴史】 平安時代末期、鹿島郡徳宿郷に進出した鹿島成幹は、長子親幹(ちかもと)を徳宿城に配して徳宿氏の祖となった。
鎌倉時代、徳宿氏2代秀幹を経て、秀幹の長子俊幹は安房(あんぼう)城主となり、次子幹秀(朝秀)を烟田城主となった。
以後約360年間、鹿島郡北部の雄として烟田に君臨した。
天正十九年(1591年)18代烟田通幹は、佐竹義宣の「南方三十三館仕置き」により太田城で誘殺され、烟田城は佐竹氏の軍勢に攻められ落城した。
翌年、城域東部に西光院が移って来た。城は廃城となり、江戸時代の寛文九年(1669年)に旗本渡辺氏が大宮氷川神社より氷川神社を勧請した。
明治二十二年(1889年)新宮尋常小学校敷地となり、昭和八年(1933年)土塁を崩し堀を埋めて校舎が増築され、南側の進入路を造るため堀を埋めて坂道が新設された。
新宮小学校は少子化により2019年3月閉校となり、新設の鉾田南小学校に統合された。