平館城 (たいらだてじょう)
最寄地 岩手県八幡平市平舘第24地割38 2017.4.24
平館城 (たいらだてじょう)
最寄地 岩手県八幡平市平舘第24地割38 2017.4.24
登城ルート(赤は舘山/緑は主郭)
大泉院西側の登り口
城跡標柱
平館城の主郭
館山東堀切
館山南堀切
館山頂上・へったれ岩
北側の畝状竪堀
平館城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 平館城は平館集落西側の丘陵地帯の八幡神社裏手の山頂部(比高40m)と南西側の標高349.2mの舘山の2つの郭から構成されている。
詰の館山頂上より北尾根を少し下ると、3重とも4重とも見える畝状の堀切がある。
【案内】 県道17号線より北に行った「北日本銀行平舘支店」横より入った「大泉院」(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード249 701 282*53]。境内西側(右側建物裏)に鎮守堂の登り口がある。八幡神社鳥居からも登れる。
境内西側に鎮守堂への登り口があり、鎮守堂より左に登ってゆくと、城跡標柱があり南側に細長い主郭が広がっている。南端に櫓台と思われる高まりがある。
南に行くともう一つのピークがあり、西に尾根道を行くと登り坂となり、館山東堀切がある。西に行くと堀切があり右に登ると詰の館山頂上に着く(地図)。北側に畝状堀切が3、4条残っている。
【歴史】 築城年代は不明であるが、室町時代からみられる地名で、陸奥国磐手郡平舘村にあり、八戸南部氏の主要な所領であったとみられる。
天正年間(1573~92年)の城主は一戸城主一戸政連の弟信濃守政包が平舘氏を継ぎ、1,000石を領して当館を居城としたと云われる。
一戸政連は一戸城を継いで兵部大輔政連と称し、一戸南部氏の庶流荒木田五郎(一戸五郎)光恒の子孫に当たると伝えられている。
天正九年(1581年)七月、平舘政包は九戸政実に誘われ、一戸城で兄一戸政連およびその子出羽を殺害し、南部信直によって知行召し上げとなったが、津軽石行重(宮古)の子が平館彦六と称して再興した。