山名城 (やまなじょう) (前城・寺尾下城)
最寄地 群馬県高崎市山名町神谷2104 2013.12.11
山名城 (やまなじょう) (前城・寺尾下城)
最寄地 群馬県高崎市山名町神谷2104 2013.12.11
登城ルート(緑色マーク/赤は根小屋城)
山上古墳
登り口・道標
西側堀切
本丸跡・広場
城址碑
山名城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 「山上碑および古墳」へ登る入口の西約65mに駐車場が用意されている[マップコード20 363 651*20](地図)。
「山上碑および古墳」の脇を230mほど行くと、山名城跡、根小屋城跡の矢印がある。
東に150mほど登っていくと堀切があり、更に行くと 比高約70mの山名城本丸跡の公園広場に出る。石碑や老朽化した看板、休憩用ベンチがある
【歴史】 伝承に源義家の孫新田義重の子義範が山名氏を名乗り居城とした。以後8代にわたり治められたと云われている。
戦国時代を通じて、東の木部氏館(現・群馬県高崎市木部町の心洞寺)にいた土豪木部氏が拠る要害城であった。
木部氏は武田氏・滝川氏・後北条氏と主家を変えて存続していたが、天正十八年(1590年)に豊臣秀吉が北条氏直を攻撃した際、北条氏側に付いたため滅亡し、山名城の消息は不明となった。これ以後に廃城となったとされる。