聖寿寺館 (しょうじゅじだて) (本三戸城) (国の史跡)
最寄地 青森県南部町小向正寿寺60 2013.11.6 2018.4.21
聖寿寺館 (しょうじゅじだて) (本三戸城) (国の史跡)
最寄地 青森県南部町小向正寿寺60 2013.11.6 2018.4.21
北東の空堀
曲輪跡(北東) ・城跡標柱
中型竪穴建物跡
西側にある 大型井戸跡
北西の神社
北西の空堀
南の若宮八幡神社
南部利康霊屋
聖寿寺館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 東西約280m南北約160mの広大な敷地で、北東側は民家敷地となっているが大半は空き地となっている。北側の山裾とは幅約10mの空堀で区切られ、民家敷地で一部失われているが、標柱の北側と北西側に空堀が残っている。
1回目の訪問では標柱の建つ曲輪が一部残っているが、他は大方林檎畑となっている。南西には、林檎の匂いの中に若宮八幡宮がある。
2回目に訪れた時は林檎の木は伐り払われ、全景を見渡すことが出来た。おかげで北西の空堀や大井戸跡などが見られた。
【案内】 県道143号線より北に500mほど行った「三光寺」(表記番地)西に重要文化財「南部利康霊屋」があり、そこより南へ約60m行った東に「聖寿寺館跡」がある[マップコード209 872 220*34]。
東側に竪穴建物跡が大中小3ヶ所平面復元されている。また西端に大井戸跡が平面復元されている。
聖寿寺館は中世の平城で、糠部(三戸)五ヶ城(三戸城・平良ヶ崎館・聖寿寺館・馬場館・大向館)の一つで、三戸城の北4㎞、平良ヶ崎城の西方700m地点の聖寿寺集落南西丘陵に位置し、館跡の東・北側は幅10mの空堀で背後丘陵から切断され、西・南側は比高差20m以上の急崖で囲まれている。
平成十六年(2004年)9月30日、国の史跡に指定された。
【歴史】 南部氏11代信長から24代晴政まで200年間居城とした。平良ヶ崎城は政庁、聖寿寺館は居館であったと考えられる。
24代晴政の時、天文八年(1539年)六月家臣赤沼備中の放火により焼失した。
晴政、晴継が相次いで没すると、天正十年(1582年)田子信直が三戸南部氏の家督を継ぎ、三戸城へ入城した。