染川城 (そめかわじょう)
所在地 秋田県男鹿市北浦相川神田 2016.6.8
染川城 (そめかわじょう)
所在地 秋田県男鹿市北浦相川神田 2016.6.8
登城ルート
入口・標柱
堀切
供養碑
東側の郭
東側から見た主郭・日本海
染川城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道101号線「牧野」交差点より西へ700m行った地点に「菅江真澄の道 染川城跡」(説明文付き)の標柱が建てられている[マップコード351 426 294*68]。入口付近が広くなり駐車出来る。
60mほど行くと左に堀切がある(季節柄草木が鬱蒼としていた)。その上段に主郭跡があり、南西側に土塁、空堀が残っている。
100mほど先を左に登ると「南無妙法連華経」と刻まれた供養碑が建てられている。その東にも郭がある。
【歴史】 康永年間(1342~45年)、安倍兼季が拠った柵跡と云われている。後年、安倍氏は安東氏と称している。
湊安東氏三代惟季は康正二年(1456年)、南部氏に追われて蝦夷へ渡っていた下国安東政季を染川城に呼び寄せた。同年、政季は惟季と「河北千町」を治める葛西秀清を滅ぼして、政季の所領とした。