船生城 (ふにゅうじょう)
最寄地 栃木県塩谷郡塩谷町船生3660 2018.9.8
船生城 (ふにゅうじょう)
最寄地 栃木県塩谷郡塩谷町船生3660 2018.9.8
登城ルート(緑線は車道)
校舎裏の墓地・矢印へ進む
鳥居・階段
東側尾根の堀切
主郭
主郭北側の横堀
北側3番目の堀切
2郭・土塁
2郭西側の堀切
船生城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 塩谷町船生の標高364mの丘陵に築かれており、主郭には鉄塔が建てられている。北と西の尾根に郭が4つほど見られ、横堀、竪堀、堀切がよく残っている。
【案内】 日光北街道に面した船生小学校(表記番地)の体育館先の空き地に駐車できる[マップコード315 334 834*36]。
船生小学校北側の墓地があり、西に真っ直ぐ行くと木の鳥居がある。階段を上ると、天満宮があり、左の藪を少し入ると視界が開け尾根を目指す。
尾根を左に登ると、堀切がありその先に鉄塔の建っている主郭がある。
北に下がって空堀、竪堀があり、2郭がある。2郭の西側に横堀があり、北側に堀切がある。尾根の先に浅い堀切がある。
戻って西に行くと、横堀の西に3郭があり、土塁と堀切がある。その西に4郭と浅い堀切がある。
帰りは、主郭南から鉄塔管理道を行ってみた。西側の鉄塔から下り、左に行き、墓地北を通って、畑地の道に出た。水門や頭上に送電線があり、目印となる。民家西を南に行くと、茶色の石塀のある民家西の日光北街道に出た。
【歴史】 船生城は、宇都宮公綱の臣・君島備中守綱胤の居城であった。観応二年(正平六年・1351年)綱胤は上野那波荘で討死したという。その後、君島氏は宇都宮氏の家臣として存続した。
慶長二年(1597年)豊臣秀吉により宇都宮国綱が改易され、その後君島氏も没落し、廃城となったものと考えられる。