瓜連城 (うりづらじょう) (県の史跡)
所在地 茨城県那珂市瓜連1222 2016.2.27
瓜連城 (うりづらじょう) (県の史跡)
所在地 茨城県那珂市瓜連1222 2016.2.27
山門・城阯碑
山門・城阯碑
本堂裏・土塁
北側帯郭
北西空堀
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 本丸跡は県道61号線に面した常福寺(表記番地)の境内となっており、楼門の左に「瓜連城阯」の石碑、右側に説明板が建てられている[マップコード47 579 765*87](地図) 。
本堂の北側に土塁が残っており、その北に帯郭があり、北の土塁上に「源太郎稲荷」が祀られ、深さ5m以上の空堀が残っている(地図)。
城域は東西南北夫々700mに及ぶ。
昭和九年(1934年)12月18日、茨城県の史跡に指定された。
【源太郎稲荷の由来】 大昔、静の青木山に源太郎、甚二郎、紋三郎、四郎介という4匹の狐がいた。ある日、4匹の狐はこれからは力を合わせて人間に協力使用ではないかと相談した。
年長の源太郎狐は「私は長男、本家のこの里を守る。甚二郎以下は夫々地方に出て人間の開拓に協力するように」と云った。
こうして、甚二郎狐は野を、紋三郎狐は山を、四郎介狐は海を守ることになった。こうして、源太郎狐は瓜連城に、甚二郎狐は米崎城(那珂市本米崎1513)に、紋三郎狐は笠間城(笠間市笠間1笠間稲荷神社)に、四郎介狐は湊城(ひたちなか市湊中央2-2)にと、夫々郷土の稲荷神社として祀られている。『現地説明板』より。
【歴史】 延元元年(1336年)正月、南北朝争乱のさなかに、南朝の忠臣楠木正成の一族楠木正家がこの地に拠って、約1年間、北朝方の佐竹氏と戦った。
正家は同年十二月、佐竹氏に包囲され那賀城主那珂五郎通辰の援護のもとに応戦したが、佐竹義篤に敗れ、廃城となった。『茨城県教育委員会説明板』より。