枡形城 (ますがたじょう)
最寄地 神奈川県川崎市多摩区枡形6‐26 2014.1.6
枡形城 (ますがたじょう)
最寄地 神奈川県川崎市多摩区枡形6‐26 2014.1.6
堀切・ 土橋
枡形門
枡形山広場・桝形山山頂の碑
展望台
城址碑
枡形城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 専修大学の東に生田緑地西口有料駐車場が利用できる[マップコード2 682 603*44](地図)。舗道を東に行き、右に約500m歩くと城跡である。
四方を断崖で囲まれた天然の要害である。生田緑地の中の日本民家園の北に土橋を経て「枡形門」と書かれた冠木門があり、その先が公園となり、展望台がある。
展望台の西隅に城址碑が建てられ、東北東に東京タワー、スカイツリーが展望できる。「桝形山山頂 海抜83m」の石碑が、公園中央に建てられている。
【歴史】 秩父党の流れをくむ小山田有重の子・稲毛三郎重成により築城された。
永正元年(1504年)九月、山内上杉氏討伐のため北条早雲(伊勢盛時・伊勢宗瑞)と今川氏親が城に入り立河原の戦いに赴いた。
永禄十二年(1569年)武田信玄の小田原攻め(三増峠の戦い)に際し、横山式部少輔弘成が防衛の土塁を築いた。
戦国時代の後、廃城となる。
太平洋戦争中は探照灯が置かれ、高射砲で爆撃機B29を砲撃していた。