用明の砦跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 山全体が墓地となり、頂上は平坦になっている。遺構は殆ど消滅しているが、段差が見られ砦であったことが分かる。
【案内】 東側を通る市道に永明禅寺(表記番地)入口があり道標が建てられている[マップコード261 051 235*66]。広い駐車場があり、西に階段状になった墓地がある。
【歴史】 天正四年(1576年)の十月、里見勝広の二子(勝政・勝安)は高津戸城に隠れ、天正五年(1577年)五月二日に用明の砦を襲った。しかし由良国繁に属する城主石原石見守を逃がしてしまう。
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