後閑城 (ごかんじょう) (市の史跡)
最寄地 群馬県安中市中後閑355 2017.12.30
後閑城 (ごかんじょう) (市の史跡)
最寄地 群馬県安中市中後閑355 2017.12.30
登城ルート(水色は南郭/緑は二の丸/青は北郭)
南郭
大堀切
二ノ丸の櫓台
東郭
本丸
北1の堀
後閑城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 後閑川左岸の標高277.5mの丘陵に築かれており、本丸を中央に東西南北に郭を配置してある。
後閑城址公園として整備され、樹木は無く本丸からは切岸や各曲輪など、戦国時代の山城を全体的に俯瞰できる。
【案内】 県道125号線よ県道216号線の交差点に案内標識がある。北に県道125号線を360mほど行き、右折して集落の中の道路を上り詰めると「後閑城址公園」駐車場が用意されている[マップコード247 881 187*80]。
駐車場が西郭第3郭でその上段に西郭第2郭、西郭第1郭が連なり、最高所に本丸がある。本丸には「後閑城址」の標柱が建てられ、「盧遮那仏」が祀られている。周囲に「百庚申」の板碑、北側に東屋が建てられている。
東に腰郭(東郭)があり、北に2条の堀切で隔てて階段状の郭を配した北郭がある。北端の尾根にも堀切がある。
本丸南東に大堀切で隔てて二の丸があり、櫓台に模擬櫓が建てられている。
また南に堀切で隔てて南郭があり、東屋が建てられている。
昭和四十四年(1969年)6月30日、安中市の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は定かではないが文安四年(1447年)頃に信濃国御嶽城(依田城)主・依田忠政によって築かれたと云われる。
永禄九年(1566年)武田信玄によって箕輪城が攻略されると依田氏は没落し、翌年、信玄は新田信純(真純)に1千貫の領地を与えて城主とし、後閑氏を名乗った。
天正十年(1582年)武田氏が滅亡した後は北条氏に属した。天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐では松井田城・厩橋城に籠ったといわれ、その後、廃城となった。