荘田城 (しょうだじょう) (市の史跡)
所在地 群馬県沼田市井土上町388 2019.2.24
荘田城 (しょうだじょう) (市の史跡)
所在地 群馬県沼田市井土上町388 2019.2.24
冠木門
説明板
下段の公園
熊野神社・城跡標柱
上段の城址公園
空堀
荘田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 沼田市井土上町の台地先端部に築かれている。南側に道路となった堀跡が見られ、南北の用水路も堀跡に造られたものとみられる。
城址公園内に南北に空堀が復元され、竪穴住居跡がコンクリートで保護され保存されている。
【案内】 国道291号線「井土上町」交差点の南の次の交差点より左折、上越線を越え、左折して行った熊野神社の北側に駐車場が用意されている[マップコード183 587 659*38 ]。
熊野神社の前に「荘田城跡」の標柱と説明板が建てられている。その南側と5m程高い東側の台地が、城址公園となっている。
昭和五十一年(1976年)3月30日、沼田市の史跡に指定された。
【歴史】 豪族利根平八は天慶三年(940年)田原藤太に従い、平将門討伐戦に加わり、戦後平氏の一人を伴い帰郷しここに館を建てて住まわせた。
7代の孫経家は平清盛から利根北勢多の荘官を命じられた。後に源頼朝の信任を得、三浦氏の女を妻にし、利根姫は頼朝の子・大友能直を産んだ。
能直は建久七年(1196年)九州豊後守護職で下向、大友氏の祖となった。
三浦氏は宝治元年(1247年)北条時頼に滅ぼされたが、一族の一人(家村)が荘田に逃れて来て居住し、沼田景泰と称し沼田氏初代となった。
その後、景長・景盛・景継・景繁・景久・景元・景朝と代を重ね 8代沼田景朝が、応永十二年(1405年)、小沢城に移るまで、158年間の居城であった。