土肥城 (といじょう)
最寄地 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252 2016.1.16
土肥城 (といじょう)
最寄地 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252 2016.1.16
登城ルート(緑線は車道)
東側登り口
ピクニックグラウンド
土橋
主郭東の堀切
主郭・城趾碑
主郭・四阿
土肥城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 林道を徒歩で登る健脚の一団に出会った。また頂上には親子連れの家族の姿も見られた。どうやらハイキングコースとなっているらしい。案の定、湯河原市街、真鶴半島や相模湾等、頂上からの眺望は素晴らしい。
【案内】 城願寺(表記番地)の東側の道を北上すると城堀林道につながり、林道を約3km登り詰めた城山東側と南東側に駐車スペースがあり[マップコード116 866 300*61]、林道脇に2ヶ所登り口がある。林道の比高差は約420mあり、夏場はエンストに注意する 必要がある。
東側登り口(地図)と南側登り口(地図)があり、夫々、城山頂上まで900m、500mほどである。南東側登り口の北にピクニックグラウンドがあり、休憩所が建てられている。
緩やかな登り道の城跡手前に平坦地があり、堀切が2条ほどあり細くくびれた土橋となっている。
標高563m比高約70mの城山頂上に主郭があり、案内図、休憩所、「土肥城趾」と刻まれた大きな石碑が建てられている。
【歴史】 鎌倉時代、源頼朝の挙兵に従い、嫡男の遠平と共に参陣した土肥実平の城と伝えられる。
治承四年(1180年)石橋山の戦いで敗北した頼朝がわずか7、8騎で安房へ逃れた際に実平も加わっていた。遠平は使者として北条政子に頼朝の無事を知らせている。鎌倉幕府成立後、実平は御家人となっている。
土肥氏の居館は城願寺の辺りにあったと考えられる。