赤塚城 (あかつかじょう) (千葉氏城)
最寄地 東京都板橋区赤塚5‐35 2013.12.29
赤塚城 (あかつかじょう) (千葉氏城)
最寄地 東京都板橋区赤塚5‐35 2013.12.29
丸池公園
二の曲輪
本丸跡石碑・説明板
説明板
赤塚城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 区立美術館(表記番地)前の道路反対側にある美術館駐車場が利用できる[マップコード3 092 741*74]。
北にある丸池公園を通って南の高台に登ると、本丸があり、碑、説明板が建てられている。その南が二の曲輪で梅林となっている。
【歴史】 康正二年(1456年)古河公方足利成氏に攻められた下総の守護の千葉実胤・自胤(これたね)兄弟は、山内上杉氏の助けを受けて市川城を逃れ赤塚城、石浜城(現台東区)、志村城へ入城した。
寛正四年(1463年)兄の後を継いだ自胤は太田道灌に従い各地を転戦、現在の和光市、大宮区、足立区内に所領を獲得、武蔵千葉氏の基盤を築いた。
その後、武蔵千葉氏は、南北朝以来の領主であった京都鹿王院の支配を排除するなど、赤塚の支配の強化に努めた。
後北条氏が武蔵へ侵攻してくるとこれに従うが、天正十八年(1590年)豊富秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅ぼされると、千葉氏も領地を没収され廃城となった。