狩川城 (かりかわじょう)
所在地 山形県東田川郡庄内町狩川笠山390 2016.6.9
狩川城 (かりかわじょう)
所在地 山形県東田川郡庄内町狩川笠山390 2016.6.9
北館大学利長像
楯山公園
南側 空堀
資料館
狩川城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 庄内町歴史民俗資料館(表記番地)の北に空堀があり、その北に楯山公園となっている[マップコード90 447 226*53]。
明治二十四年(1891年)建築の旧狩川村役場が、歴史民俗資料館として活用されている。
【歴史】 建武二年(1332年)斎藤新九郎俊氏によって、南朝方の拠点として、築かれたと云われる。
慶長六年(1601年)、庄内を支配した最上義光の命で、北館大学助利長が狩川(楯山)城主になった。
当時の城は、東西91m南北127mと細長い形態で、大手門からは清川街道を眼下に見下ろし、二の丸、三の丸も狭く背後に深山を抱える要害だった。
利長は、荒野の庄内平野に立谷沢川から疎水を引き、現在みられる豊かな水田地帯になる基となった。
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。北楯大学は麓の下屋敷へ移り住んだ。