網代城 (あじろじょう)
最寄地 東京都あきる野市網代200 2017.10.12
網代城 (あじろじょう)
最寄地 東京都あきる野市網代200 2017.10.12
登城ルート
貴志嶋神社鳥居
木戸跡
主郭
西の郭
北尾根の堀切
網代城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 秋川右岸の標高330・8mの城山にあり、20m四方ほどの主郭と西側に郭があり、北の尾根に堀切、土橋が残っている。
【案内】 都道61号線の秋川に架かる「山田大橋」北より西に入り、秋川を渡って行くと「網代会館」(表記番地)があり、会館前か西側の行き止まりに駐車できる。その西の貴志嶋神社鳥居から登る[マップコード23 495 372*61
参道を250mほど登ると案内板があり、右の石段の遊歩道を200mほど行く。二股に分かれる所を右に下る(地図)。左に上ると弁天山である。
鞍部を経て大手の一本道となり、木戸跡を経て上り詰めると、20m四方ほどの主郭に着く。
木戸跡の右に竪堀が残っており、主郭には案内板が建てられている。西に一段下がって郭があり、北の高尾神社方面へ下ると、浅い堀切、土橋があり、更に尾根を下るとはっきりした堀切が残っている。
【歴史】 15世紀中頃、農山村の地侍たちは地域の指導者として村単位の自営権力を持ち、南一揆と呼ぶ武装集団を成立させていた。
この山城はそうした者たちによって利用されていたと考えられる。このような小規模な山城は村人らの逃散(領主の重税から逃れる)の場としても利用されていた。
16世紀中頃、滝山城に入城した北条氏照により南一揆は解体され、網代城は滝山城の支城として再び役目を果たしたと考えられる。『説明板』