彦部氏屋敷 (ひこべしやしき) (彦部家住宅)
所在地 群馬県桐生市広沢町6丁目877 2015.9.21
彦部氏屋敷 (ひこべしやしき) (彦部家住宅)
所在地 群馬県桐生市広沢町6丁目877 2015.9.21
長屋門
主屋
搦手門石垣
空堀
彦部氏屋敷跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道50号線桐生バイパス「広沢町五丁目」交差点より南に100mほど行き、左折約300mゆくと右手に屋敷跡があり、左に駐車場が用意されている。有料(大人500円・小人300円)で拝観でき、ガイドの説明を受けることが出来る。
「彦部家住宅」(表記番地)として国指定重要文化財となり、主屋、長屋門、冬住み(隠居室)、穀倉、文庫倉の5棟が指定されている。石垣が長屋門左手と搦手門に残っており、ハの字に組まれているのが特徴的である。
北側の搦手門の右に櫓台が残り、橋が架けられた空堀がL字型に残り、よく保存されている。竹ヶ岡八幡宮などの祀社の裏に土塁がある。主屋は絹織物の工場として利用されていた。
【歴史】 彦部家は、家蔵の由緒書や系図によると、7世紀後半天武天皇の皇子高市親王を祖としている。鎌倉時代に陸奥国紫波郡彦部郷の領主を勤め、彦部氏を名乗った。
室町時代、足利将軍の直参として仕え、京都で活躍した。その後、関東の動静を幕府に注進するため広沢郷に留まり、永禄四年(1561年)太田金山城主由良成繁より千匹の地を賜り、現在地に屋敷を構え、17代を数える。
江戸時代になると、帰農し郷士として続いた。古くから染織を営み、特に文化・文政期(1804~30年)には黒染技法を習得し、黒襦子を織り出すようになり、桐生でも有数の織物の経営者となった。明治時代後半から本格的に織物業を営み桐生織物同業組合の組合長になった彦部駒雄を輩出するなど、桐生織物の発展に寄与した。『彦部家パンフレット』より。