足利城 (あしかがじょう) (両崖山城・飯塚山城・小屋城・栗崎城)
最寄地 栃木県足利市本城1丁目1629 2013.11.10
足利城 (あしかがじょう) (両崖山城・飯塚山城・小屋城・栗崎城)
最寄地 栃木県足利市本城1丁目1629 2013.11.10
登城ルート
ハイキングコース入口
展望台
二の丸跡
二の丸跡・城跡標柱
供養塔
本丸跡・御嶽神社
西側堀切
足利城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【案内・感想】 両崖山の東、「県立足利高等学校」(表記番地)の北を通って、行き止まりに、ハイキングコース入口がある[マップコード34 684 171*20]。駐車スペースは少ない。
登山口よりしばらく登ると両崖山に続く尾根径に至る。そこより西に進むと展望台を経て標高251m比高約190mの両崖山頂上に着く(歩行距離約700m)。
本丸跡に「天満宮」「御嶽神社」「月讀命三日月神社」や「大黒天像」がある。本丸の北に堀切がある。一段下がった段郭には信藤霊神・信宿霊神・信直霊神・信常霊神等の供養塔が並んでいる。
【歴史】 藤原秀郷七世の孫・成行が足利大夫と称して、天喜二年(1054年)両崖山に築城し、以後5代約120年間使用されたが、藤姓足利氏は平氏と共に滅びたため一旦廃城となった。
鎌倉時代、源姓足利氏はこの城に入らず、室町時代中期(1334年頃)足利長尾氏の三代景長が岩井山城からここに移り旧城を修築した。
4度の「足利城の戦い」が勃発し、一次の戦いは、康正元年(1455年)関東管領山内上杉憲忠を殺害した鎌倉公方足利成氏と山内上杉氏家臣の長尾氏の間で起きた。軍の対峙で終わったのか、合戦が起きたのかは明らかでない。天文十一年(1542年)長尾氏の支配となった。
第2次は永禄七年(1564年)上杉謙信と佐野昌綱の間で起きた。第3次は小田原北条氏の下野国侵攻が本格化した天正十二年(1584年)に起きた。足利城で長尾顕長と佐野宗綱の戦闘があった。
第4次は天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐が行われ北条氏に味方した足利長尾氏六代顕長の没落により、廃城となる。