那珂西城 (なかさいじょう) (県の史跡)
所在地 茨城県東茨城郡城里町那珂西1958 2016.2.27
那珂西城 (なかさいじょう) (県の史跡)
所在地 茨城県東茨城郡城里町那珂西1958 2016.2.27
山門・説明板
宝憧院
北側土塁
北西の土橋・虎口
北側空堀
那珂西城 本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道123号線に面し宝憧院門柱があり[マップコード47 424 426*48]、東に100mほど行った、宝憧院(表記番地)境内が本城である。
南側と、北側に土塁が残り、北側の土塁は高さ3~5mありその北に空堀が残っている。本堂の北西に土橋、虎口がある(地図)。空堀の北に杉林が郭跡と思われ三宝神社が建っている。
南北朝時代の山城の跡で、広さ約4ha、城内は宝憧院のある本城、南の中城、その西の兵庫坪の三郭から構成されていたとされる。
昭和九年(1934年)茨城県の史跡に指定された。
【歴史】 秀郷流藤原姓那珂氏の本拠と云われてきたが、大中臣姓那珂氏の居城とする説が有力である。那珂氏の後、佐竹氏が支配し、城番を置いたという。
城域内の本城の位置には現在宝幢院があるが、これは元禄九年(1696年)、徳川光圀の発願によりここに移されたものである。『城里町教育委員会説明板』より。