三ツ山城 (みつやまじょう)
最寄地 群馬県藤岡市浄法寺1633 2017.11.18
三ツ山城 (みつやまじょう)
最寄地 群馬県藤岡市浄法寺1633 2017.11.18
登城ルート
民家跡の坂道を登り左の尾根へ
東の郭より北の郭を望む
細長い北の郭
鞍部の尾根
南側の主郭
主郭南の堀切
三ツ山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 根古屋集落の西、標高411mの尾根頂上に南北2段になった主郭があり、南側に横堀が残っている。中間に狭い郭、北に細長い郭がありその北東に東郭を備えた連郭式の城となっている。
北東の東郭までは急な尾根で、マーカーもなく尾根筋を見失わないよう直登した。
【案内】 上武カントリークラブより北に行った表記番地の北約200mに住宅跡の坂道があり、そこより西へ登る[20 095 198*42](地図)。少し北の右側に駐車スペースがある。
なだらかな丘を西へ入ると、踏み跡が見え尾根が現れる。中間からは急な尾根となり上り詰めると東郭があり、10mほど高く北端の細長い郭に出る。
南に下り、細い尾根を進むと次のピークがある。さらに下って鞍部を登ると最高所の南北2段になった主郭がある。その南、比高10mほど下った岩場の下に、堀切が1条残っている。
【歴史】 平安時代末の武将 斉藤実盛の後裔が武蔵国長井庄に住し、長井氏を称した。
戦国時代、長井氏は山内上杉氏の家臣となっていたが、永禄四年(1561年)武田信玄の上州侵攻の後、長井政実は小幡氏らと共に武田氏に従った。
その子・信実は天正十年(1582年)武田氏滅亡後、西上州が北条氏の勢力下に入ると、上杉氏の家臣・藤田信吉を頼って越後へ逃れたという。