金山城 (かなやまじょう)
最寄地 山形県最上郡金山町金山108‐2 2015.6.12
金山城 (かなやまじょう)
最寄地 山形県最上郡金山町金山108‐2 2015.6.12
登城ルート
金山城跡標識
神明神社
秋葉神社
不動堂跡・土塁
主郭西の土塁
主郭南側
金山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【案内・感想】 金山小学校(表記番地)の北西にある稲荷神社の鳥居横に小さな「楯山金山城跡」の標識がある[マップコード221 776 698*65] 。小学校に駐車させてもらった。
稲荷神社横の登り口に説明板、案内図がある(地図)。登ると間もなく、段々に熊野神社、神明神社、秋葉神社がある。
標高260m比高約80mの楯山に天満神社、不動堂があり、土塁が残っている。少し下って、右に折れと時計回りに300mほど行くと、主郭がある。草木が生い茂り写真には撮れないが、土塁が確認できる。
主郭の広さは東西50間(90m)南北40間(72m)余、北に比高3間の上段に不動堂のある上城は13間(23.4m)四方と金山町『柴田氏旧記』に図が載せてある。後で思うと、上城から直接5m下の主郭に行けると思えるが、草木が阻んでいる。
【歴史】 金山は秋田・山形を結ぶ交通の要衝である。天正年間(1573~92年)山形最上義光の家臣丹与惣左ェ門(与三左ェ門)が館山に築城したと云われ、城下町も同じく整備された。
丹氏は武蔵国丹党の出で、仙北小野寺氏への備えとして千石を領した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで金山城を守りその勇名を馳せた。その後無常を感じ羽黒山に入り世を去った。その後、最上氏の家臣川田三右衛門らが在職したが、元和八年(1622年)最上氏の改易により、破却され新庄藩戸沢氏の領有となった。
宝円寺(金山町金山1608−1)は丹の四男独翁宗芸和尚が開山した。久昌院殿泰岩英長居士の碑は与惣左ェ門のものと伝えられる。
山門は城門を移築されたとされ、現在は金山小学校校庭の一角に歴史の門として保存されている。『金山町説明板』より。