小野城 (おのじょう) (小野館) (市の史跡)
最寄地 宮城県東松島市小野裏丁108 2016.8.5
小野城 (おのじょう) (小野館) (市の史跡)
最寄地 宮城県東松島市小野裏丁108 2016.8.5
説明板
登城ルート(赤は梅ヶ森館/緑は桜ヶ森館/青は松ヶ森館)
切通し・説明板と参道
お館山公園・館跡碑
梅ヶ森館の帯郭
西側空堀
桜ヶ森館虎口
桜ヶ森館頂上・石碑
桜ヶ森館の標柱・石碑
松ヶ森館遠景
小野城 梅ヶ森館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 松島市小野にある夫々独立した丘陵に梅ヶ森館・桜ヶ森館・松ヶ森館の3館から構成されている。
鳴瀬川の左岸の県道150号線より東に行った表記番地の付近より大きく曲がり「五十鈴神社」石段前を過ぎると、「お館山公園入口」の標識があり、石段横に説明板が建てられている[マップコード581 543 659*54]。
切通しの横に駐車スペースがある。その先を斜め左に車で登っても行ける。
梅ヶ森館の東側1/3ほどが「お館山公園」として整備され、南側に帯郭があり中央の壇上に忠魂碑や「小野館跡」の石碑が建てられている。
公園から鳴瀬川が望め、4㎞ほど南は太平洋であり2011年3月11日の東北大地震では多くの方が津波を逃れて避難されたことが容易に想像できる。
西に行くと、空堀が残りその西に鳥居が建てられ、石の祠が2基祀られている。西側2/3は藪化している。
桜ヶ森館へは切通しを200mほど北に行き[マップコード581 543 772*65]、右に直角に登る坂があり、虎口の先を左に登った一段高い台地に位置する(地図)。「小野館跡」、「舊小野城址」の2本の石碑が建てられている。
松ヶ森館は配置図に従って行ったが鬱蒼とした小山で、登リ口すら見えなかった(地図)。
東松島市指定文化財となっている。
【歴史】 往古、鳴瀬川に向かって伸びる丘陵に3つの館が隣接して築かれた。南から梅ヶ森館・桜ヶ森館・松ヶ森館と呼ばれ(鳴瀬町誌による)、古来より要衝の地であった。
『安永風土記』(1773~80年)によれば、鎌倉権五郎景政を祖とする長江太郎義景が、文治年間(1185~90年)に源頼朝より「深谷庄」を与えられこの地に居住した。その後、代々引き続き長江月鑑斎(天正十九年(1591年)没)まで居城したことが記されている。
江戸時代に入り、伊達家の家臣伊東氏、田村氏、三沢氏が小野を領し、最後は富田氏に引き継がれた。梅ヶ森館は「御館(おたて)」とも呼ばれている。
平成十五年の梅ヶ森館跡発掘調査では、斜面を削り落として敵が登るのを防ぐ切岸や大型の掘立柱建物跡が発見され、出土遺物から戦国時代の館跡であることが確認された。『東松島市教育委員会説明板』より。