元城 (もとじろ) (深浦館) (町の史跡)
最寄地 青森県西津軽郡深浦町深浦元深浦169‐7 2015.7.5
元城 (もとじろ) (深浦館) (町の史跡)
最寄地 青森県西津軽郡深浦町深浦元深浦169‐7 2015.7.5
登城ルート
林道入口・説明板
説明板
元城龍神宮
鞍部郭・建物
鞍部郭跡と北郭跡
南郭跡
西斜面と帯郭
南側の堀切
元城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高35m】
【案内・感想】 五能線高架下より県道192号線を南に約300m行った「深浦町福祉センター・元城館」(表記番地)の向かいに「元城」説明板が建てられている。林道を200mほど行くと「元城龍神宮」の木製鳥居がある[マップコード559 456 887*72](地図)。
鳥居を潜って急な沢の左を登ると比高約30mの鞍部の郭に出、中央に建物がある。途中は薮と濡れた足場で、滑落に注意した方が良い。龍神宮は藪の中と思われる。北西と南東に2つの削平地がある。
北郭跡は5m程高く背丈ほどの隈笹で覆われている。南郭跡は1・5mほど高い。北郭、鞍部、南郭の全体の規模は、東西50m南北150mほどで東、北は崖で南は5重の堀が藪の中に見て取れる。また西の斜面に3段の帯郭がある。
昭和四十九年(1974年)8月16日、深浦町の史跡に指定された。
【歴史】 嘉吉三年(1443年)南部氏に敗れた安東氏(安藤氏)は十三湊(福島城)を廃棄し、渡島に渡った後も、領地回復のため津軽へ上陸し、南部氏と抗戦した。
安東義季は津軽奪還を目指した父康季と共に、文安二年(1445年)津軽西浜に上陸したが、康季は引根城で病死、義季は宝徳三年(1451年)津軽大浦の狼倉館で挙兵した。
享徳二年(1453年)安東義季は南部氏との戦闘で、狼倉で自害し、安東嫡流が断絶した。安東氏一族の葛西頼清は辛くも逃れ、永正年間(1504~21年)初め、深浦に来て再起を図り、元城(深浦館)に入り、木庭伊勢頼清と称した。
その後元城の城主は千葉(深浦)弾正で、大浦氏の攻撃を受けて敗れ、没落した。落城の時、黄金の鶏を井戸に投じたという伝説がある。