河和田城 (かわわだじょう)
所在地 茨城県水戸市河和田町887 2015.2.28
河和田城 (かわわだじょう)
所在地 茨城県水戸市河和田町887 2015.2.28
報佛寺山門・城跡碑
空堀・土塁
交差点北・空堀
天徳寺・土塁
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 報佛寺(表記番地)敷地となっており、東側の山門横に「河和田城跡」の石碑が建てられている[マップコード47 095 491*58](地図)。
また報佛寺北東交差点の北や天徳寺(河和田町914−1)などに土塁、空堀が点在している。
【歴史】 築城者は諸説あるが、応永年間(1394~1428年)の頃には江戸氏がここに移り、やがて、要害の水戸城を攻めて移った後、その家臣春秋氏が居城とした。
天正十八年(1590年)佐竹氏に敗れた後、廃城となった。今も五重六重の土塁や水濠・空濠があり、外城・内城・中城・兵部屋敷などの地名が残っている。水戸市教育委員会『城跡碑側面由来文』より。