油川城 (あぶらかわじょう)
所在地 青森県青森市西田沢浜田 2015.7.5 2017.7.9
油川城 (あぶらかわじょう)
所在地 青森県青森市西田沢浜田 2015.7.5 2017.7.9
登城ルート(緑線は車道)
登り口・東切岸
入口
主郭跡
2・3郭(杉林の中)
南側2重空堀
南側2重空堀(続き)
西側の郭(畑)
油川城主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 周囲の田から比高約5~10mの台地にあり、複数の郭から成っていたと思われ、主郭は耕作地となっている。
南側の杉林の2郭、3郭に入ると、南辺に200mほどの長大な2重空堀があり、西側に土塁・空堀がよく残っている。
【案内】 国道280号線内真部バイパスの信号のある交差点の北40mより西へ細い農道を600m、北海道新幹線高架下を西に行くと、台地上に油川城跡がある[マップコード99 696 007*17]。
東西約280m、南北約300mの規模で、主郭は全体に畑地となっている。標識等はない。
南西に2、3郭、4郭があるが、明瞭な区画は見当たらないが、杉林の南から西に2重空堀が残っている。
【歴史】 中世の城で、築城年代は不明であるが、諸書により南部奥瀬氏の居城とされる。
「異聞記」に「油川へは南部奥瀬判九郎下り、外ヶ浜の代官となり、その子善九郎船水讃岐なり」とある。
『津軽一統志』に「天正七年津軽三郡大方大浦為信の手に属しけれども、外ヶ浜筋平均未だ成らず。油川、高田、荒川、蓬田、横内の者ども召に応ぜざりしかば、油川を追落さるべしとて天正十三年三月彼の表へ手遣あり云々」との記述がある。
その中に、天正十三年(1585年)三月、大浦為信による油川一帯外ヶ浜攻めに際して、一戦も交えず田名部に逃げ去ったとある。