小代氏館 (しょうだいしやかた)
所在地 埼玉県東松山市正代864-1 2015.12.19
小代氏館 (しょうだいしやかた)
所在地 埼玉県東松山市正代864-1 2015.12.19
青蓮寺
本堂
小代重俊供養塔
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 青蓮寺(表記番地)の建つ一帯が館跡である(地図)。
遺構は無いが、本堂の左手に小代氏4代目「小代重俊供養塔」(弘安四年・1281年)が祀られている。
【歴史】 小代氏は、武蔵七党(横山・猪俣・野与・村山・西・児玉・丹党)の児玉党の入西資行の次男遠弘が、小代郷に住して小代氏を名乗った。
子息重康の「宝治合戦」での活躍により、重俊は宝治元年(1247年)鎌倉幕府から肥後国野原荘(現熊本県荒尾市・長洲町)の地頭職に任じられた。当時は現地に赴かず、地頭代に所領の管理を任せていた。
文永八年(1271年)幕府から蒙古襲来に備えるため、また領内の争いを治めるため、重俊の子息等は野原荘へ行くことを命じられ、一族は移り住んだ。その後三百数十年にわたり、肥後国野原荘で勢力を誇った。
小代氏の菩提寺浄業寺には、一族の供養塔群が残されている。『東松山市教育委員会説明板』より。