小倉城 (おぐらじょう) (国の史跡)
最寄地 埼玉県比企郡ときがわ町田黒608 2013.9.28 2018.11.5
小倉城 (おぐらじょう) (国の史跡)
最寄地 埼玉県比企郡ときがわ町田黒608 2013.9.28 2018.11.5
登城ルート(緑線は車道)
主郭・3郭間の堀切
3郭の石垣
北東の2重堀切
2段になった主郭
主郭段差部・城跡碑
主郭北虎口の空堀
2郭主郭間の堀切
2郭・土塁
2郭南西の大堀切
【感想】 ときがわ町と嵐山町の境に位置し、槻川(つきかわ)が大きく蛇行する地点に突き出た標高136mの山頂にある。東西に郭を連ねた山城で、土塁を巡らせた主郭、3郭に石垣、東に桝形虎口、2重堀切などがよく残っている。
また、主郭の西に堀切、土塁を巡らせた細長い2郭、折れのある大堀切など見所は多い。
【案内】 表記番地北の「大福寺」(表記番地)の入口に説明板が建てられている[マップコード91 711 399*75]。その先に駐車場が用意され、本堂北(右)より登る(地図)。
約200m登ると、3郭と主郭の間の堀切に着く。主郭の南に堀切、3郭があり、結晶片岩の石垣がある。
右に行くと、比高約80mの山頂の2段になった主郭があり、周囲を土塁がめぐり、中央に城跡碑と案内板がある。
東に桝形虎口が残っている。その先に下ると2重堀切が残っている。
主郭南虎口から西に行くと、主郭2郭間に空堀があり、2郭の北から西に土塁が残り、西側は広く櫓台とされる。2郭南西に大堀切・竪堀があり、その西に4郭がある。
平成二十年(2008年)3月28日「比企城館跡群」(菅谷館跡・松山城跡・杉山城跡・小倉城跡)の一つとして国の史跡に追加指定された。
【歴史】 城主は「新編武蔵風土記稿」に後北条氏の重臣遠山氏、「武蔵誌」に松山城主上田氏の2説がある。
石碑文によると、築城年代は不詳であるが、元亀・天正初頭(1570~80年)の頃(戦国時代)北条氏の武将遠山右衛門大夫光影の居城となったが、天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原攻めの時、松山城などと共に落城したと云われている。
発掘調査による城跡の年代推定は十六世紀前半から後半である。