津久井城 (つくいじょう) (筑井城)
最寄地 神奈川県相模原市緑区根小屋162 2013.12.1
津久井城 (つくいじょう) (筑井城)
最寄地 神奈川県相模原市緑区根小屋162 2013.12.1
登城ルート(緑は御屋敷跡/青は飯縄曲輪/水色は鷹射場)
城坂橋
御屋敷跡
飯縄曲輪との堀切
太鼓曲輪
本城曲輪
櫓台
腰曲輪
津久井城 本城曲輪(地図)
【遺構★★★★☆ 比高210m】
【案内・感想】 標高375m比高210mの城山山頂にあり、神奈川県立津久井湖城山公園となっており、ハイキングコースが整備されている。
津久井公園「県立津久井湖城山公園管理(事)パークセンター」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード251 588 064*31]。
城坂橋 より東に行くと、御屋敷跡(地図)の平坦地に出る。そこから急坂を600mほど登ると尾根に出る。
尾根に堀切があり東に飯縄曲輪(地図)があり、その東に堀切を経て「鷹射場」の小曲輪がある。
戻って尾根を西にゆくと太鼓曲輪があり、堀切、蔵跡を過ぎて本城曲輪に至る。本城曲輪の北に土塁、腰曲輪があり、城山山頂からは遠く八王子のビル街が望め、眼下には津久井ダム湖が青く横たわっている。家族連れのハイカーでにぎわっていた。
【歴史】 鎌倉時代に三浦党の筑井氏が築城したと言われている。
本格的に城として使われるのは後北条氏の時で、武田勢に備え津久井城主の内藤氏に守らせた。
永禄十二年(1569年)の三増峠の戦いの際、武田側の加藤丹後によって抑えられ、北条勢は出陣できなかった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、城主内藤景豊は小田原城にいたので、老臣等が守っていたが、家康の武将平岩親吉らによる攻撃で、六月二十五日に開城した。
その後に廃城、徳川直轄領となり、近くの陣屋にて八木家などの代官が、この地を統治した。