新堀城 (にいぼりじょう) (新堀館・上館・新仙寺館)
最寄地 岩手県花巻市石鳥谷町新堀第65地割54 2016.6.5
新堀城 (にいぼりじょう) (新堀館・上館・新仙寺館)
最寄地 岩手県花巻市石鳥谷町新堀第65地割54 2016.6.5
登城ルート(緑線は車道)
南側登り口
縄張り図
土橋・堀切
虎口
主郭跡
帯郭
新堀城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 長善寺(表記番地)より南へ200mほど行き、左折し砂利道を200mほど登ると駐車場が用意され、説明板が建てられている[マップコード 378 847 770*67 ](地図)。
もう一つは長善寺南より左折して行った新仙寺駐車場が利用でき、新仙寺居宅の右から登れる。尾根に出て左に2郭、3郭があり右へ行くとすぐに帯郭に着く。
主郭南東に堀・土橋があり帯郭を伴っている。30m×40mの主郭の端に跡石と呼ばれる巨石があり、館神として稲荷神社が祀られていたと伝えられている。
昭和五十年(1975年)2月3日、花巻市の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は不明であるが、稗貫(ひえぬき)氏初代広重(為重)の孫伊予守光家を祖とする新堀氏が斯波(しわ)氏監視のため居城していたと伝えられている。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって稗貫氏は滅亡し、新堀氏は一族は離散したが、新堀作兵義広は南部氏に降り200石を給された。
天正二十年(1592年)の「諸城破却書上」では「新堀 山城 江刺 兵庫 持分」と記載されており、郡東の抑えとして江刺氏に任されていた事が窺える。江刺氏は葛西氏の一族で岩谷堂城主であったが、宗家滅亡後に南部氏に出仕していた。