中島館 (なかじまだて) (高瀬館) (町の史跡)
所在地 宮城県亘理郡山元町高瀬館下 2018.4.20
中島館 (なかじまだて) (高瀬館) (町の史跡)
所在地 宮城県亘理郡山元町高瀬館下 2018.4.20
登城ルート
国道6号線横登り口
坂虎口
主郭・標柱・説明板
説明板
主郭切岸・横堀
腰郭
横堀
中島館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 太平洋から約2km内陸にある山元町高瀬館下の標高42.3mの山に築かれている。主郭の西から南にかけて幅広の横堀が良く残っている。
2011年3月11日の東日本大震災で、山元町の津波被害の甚大だったテレビ映像を思い出す。
【案内】 国道6号線西側に「中島館跡」の標柱が建てられている(地図)。国道反対側東のアパート前の道路が広く駐車できる[マップコード332 407 290*51]。
入口から比高20mほどで簡単に主郭まで行ける。主郭坂虎口の左側に腰郭があり、その先は幅5mほどの横堀となって西側に巡っている。
主郭は径50mほどの円形で、中央に館跡標柱と説明板が建てられている。
平成十五年(2003年)山元町の史跡に指定された。また、南方約300mには合戦原遺跡があり3基の円墳が公園内に残っている(地図)。
【歴史】 奥州の戦乱「前九年の役」(1051~62年)で源頼義に従って安倍氏を攻めた亘理権太夫藤原経清の居館跡と伝えられている。
経清は藤原清清衡の父で、後に源頼義と袂を分かち安倍氏方に与し囚われて処刑された。