松田城 (まつだじょう)
最寄地 神奈川県足柄上郡松田町松田庶子 2016.1.16
松田城 (まつだじょう)
最寄地 神奈川県足柄上郡松田町松田庶子 2016.1.16
登城ルート(緑線は車道)
説明案内板
前曲輪2
前曲輪1
堀切・土橋
本曲輪2・本曲輪1
後曲輪
松田城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道246号線「庶子」交差点より県道72号線に入り、約70m東より左折、住宅地の細い道を抜け、東名高速道路に沿って西へ行き、東名高速道路を横断する「城山橋」を渡ると、松田城跡登り口がある。
高速道路に沿って東に200mほど行くと「松田城址入口」があり大きく左折して、登ってゆくカーブ3つ目の先に駐車場があり、横に説明板が建てられている[マップコード 57 675 044*71](地図)。南方の酒匂川、高速道路や秦野盆地の見晴らしは素晴らしい。
駐車場の北に前曲輪2、その上段に前曲輪1がある。その北に土橋、堀切があり「松田城址」の標柱が道の左に建てられている。民家の裏に段々になった、本曲輪1、2、後曲輪が連郭式に並んでいる。
城跡南部の腰郭、空堀等は東名高速道路工事で消滅している。
昭和四十六年(1971年)4月松田町の史跡に指定された。
【発掘調査】 松田城跡は東の旗矢沢、西の天神沢という2つの沢を天然の要害として利用した典型的な連郭式の山城である。南方には、沢の注ぐ酒匂川が流れている。
東名高速道路の拡幅工事時に発掘調査が行われ、上・下段腰曲輪、掘立柱遺構・柵列・井戸・溝状遺構・堀切が確認され、炭化穀物類・陶磁器類・カワラケ・鉄釘・古銭等多数が出土している。
【歴史】 城郭として使用していた時期は、15世紀中ごろから16世紀後半ころで、秦野盆地から来た波多野氏の系譜である松田頼秀・顕秀・憲秀のころである。
松田憲秀は小田原北条氏の筆頭家老であり、松田城はその弟新次郎康隆の持城であったとの記録が残っている。『松田町教育委員会説明板』より。