松平城 (まつだいらじょう)
所在地 茨城県常陸太田市松平町1466 2020.5.25
松平城 (まつだいらじょう)
所在地 茨城県常陸太田市松平町1466 2020.5.25
登城ルート(緑線は車道)
密蔵院山門
横堀の残欠
稲荷神社
説明板
稲荷神社
松平城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 密蔵院一帯が松平城跡で、遺構はほとんど見られないが、稲荷神社に向かう舗装道の左側に横堀の残欠が見られる(地図)。
横堀の東半分を土盛りして舗装道にした形だ。墓地周辺は造成され、遺構はほとんど見られなかった。
【案内】 常陸太田市松平町にある密蔵院(表記番地)の入口[マップコード379 014 364*12]より、北に行った駐車場が利用できる。
稲荷神社鳥居横に説明板が建てられている。
【歴史】 応永年間(11394~1428年)山入城主・山入与義(ともよし)の長男義郷(よしさと)により築城され、地名より松平氏を名乗った。
その後、永享年間(1429~41年)の城主・松平久高は、山入の乱の際本家山入方に与せず、佐竹義舜(よしきよ)側に付いた為、山入勢の攻撃を受けて討死した。
久高の長子康信は佐竹本家に仕え、康信の後、信広、信久と続いた。慶長七年(1602年)松平信久は佐竹義宣に従って秋田久保田藩へ移り、松平城は廃城となった。