藤島城 (ふじしまじょう)
所在地 山形県鶴岡市藤島古楯跡108 2016.6.9
藤島城 (ふじしまじょう)
所在地 山形県鶴岡市藤島古楯跡108 2016.6.9
説明案内板
水堀・説明板・標柱
神社入口・土塁
神社・土塁
西側を流れる藤島川・庄内農業高校
藤島城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 藤島川を渡った県道339号線の北に八幡神社(表記番地)がある[マップコード90 348 736*43]。
その東に内堀があり、神社入口に標柱、説明板が建てられている。本丸跡の境内にL形に土塁がよく残っている。
北の二の丸跡は県立庄内農業高等学校敷地となっている。
昭和五十一年(1976年)11月26日旧藤島町の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は不明だが、和銅年間(708~15年)平形に国府が置かれたころの国府の府城と云われ、出羽守や鎮守府将軍の居城であった。
葉室光顕、同光久、久我具通、堀川具信、木戸玄斎、土佐林道俊、新関因幡守久正等が城主を務めた。
正平六年(1351年)北畠顕信が守永親王を奉じて再起の旗揚げをした歴史上有名な城である。
天正十八年(1590年)太閤検地の折り、一揆を起こし籠城、上杉景勝の宿老直江兼続も落とせなかった。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。