石倉城 (いしくらじょう)
最寄地 群馬県利根郡みなかみ町石倉1641 2019.2.24
石倉城 (いしくらじょう)
最寄地 群馬県利根郡みなかみ町石倉1641 2019.2.24
登城ルート
国道横の道標
2郭・説明板
標柱・説明板
説明板
主郭手前の空堀
主郭
石倉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 みなかみ町石倉の利根川に向けて伸びた台地に築かれた崖端城である。南北に沢があり深い谷となっている。
空堀は笹が生えているが、明瞭に残っており、主郭側に土塁が残っている。主郭は150m×50mと広い。
【案内】 国道291号線が関越自動車道と並行する付近が広くなり駐車できる [マップコード183 882 078*81]。
その先に「→石倉城跡」の標識があり、右に下ってゆくと、表記番地の東側に2郭があり、標柱と説明板が建てられている。
東へ行くと、空堀があり、土塁を伴った主郭がある。南東段丘下に石倉館へ通じる道があるという。
昭和四十五年(1970年)4月1日、みなかみ町の史跡に指定された。
【歴史】 文明十年(1478年)平井城主で関東管領上杉顕定(あきさだ)が、故郷の越後との中継地として清水街道沿いに築いたという。
このころ越後では顕定の弟で守護の上杉房能(ふさちか)と守護代・長尾為景との抗争が続き房能は敗死した。
弟を討たれた顕定はその子・憲房と共に白井、沼田を落し越後の為景を攻め一旦は越中に迫ったが、永正七年(1510年)長森原で戦死し、石倉城も運命を共にした。