祖母井城 (うばがいじょう)
最寄地 栃木県芳賀郡芳賀町祖母井519 2016.3.8
祖母井城 (うばがいじょう)
最寄地 栃木県芳賀郡芳賀町祖母井519 2016.3.8
土塁
土塁・説明板
説明板
本丸跡・役場跡
祖母井城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道61号線より西に100mほど行った「ホテル糸屋」(表記番地)の西側に土塁が残っており、社が祀られている。
その手前に説明板が建てられている。道路を挟んだ公園が本丸跡で、「旧芳賀町役場跡」の碑が建てられている。
昭和三十年までは、土塁が鍵形に残っていたが、旧芳賀町役場が置かれるにあたり削平され、現在は一部が東南の隅に見られるに過ぎない。
本丸の南側、西側の田地は内堀であり、往時は4,200㎡の平城であった。『芳賀町教育委員会説明板』より。
【歴史】 代々宇都宮家の家臣であった、祖母井信濃守吉胤が築いた。
永禄元年(1558年)上杉謙信が宇都宮氏を攻めた時、その上杉方の大軍を撃退したが、多功城(上三川町)で討死したと伝えられる。
また、祖母井信濃守高宗は、朝鮮征伐で数々の武勲を立てた。その後、信濃守定久は、北条氏の二度にわたる宇都宮攻めの時、それを迎え撃ったり、多気城の守備を固めて防戦に努めた云われる。
その後、慶長二年(1597年)豊臣秀吉の宇都宮氏改易で、祖母井氏も運命を共にし没落、廃城となった。祖母井氏の菩提寺は南東約500mの東伝寺(芳賀町祖母井395)である。『芳賀町教育委員会説明板』より。