雉郷城 (きじごうじょう)
所在地 群馬県高崎市中里見町 2017.12.30
雉郷城 (きじごうじょう)
所在地 群馬県高崎市中里見町 2017.12.30
登城ルート
登り口
梅林となった階段状の郭
北の平坦地・祠
東帯郭から見た2郭北の堀切・右主郭
南東の2郭・三角点
堀切を挟んで主郭
雉郷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 里見城西約1.8kmに位置している標高373.7mの山頂に詰が築かれている。梅林となっている郭は数百人も籠城できるだろう広さがある。
主郭と2郭は笹藪に覆われ、写真写りが悪い。主郭と2郭間に堀切がよく残っていた。
【案内】 県道132号線より西に林道を約1.8km行ったカーブ地点に登り口がある[マップコード94 392 116*55](地図)。道は割と広く路駐できた。
登り口より梅林が広がり、3段ほどの階段状の広い郭が山裾まで続き、山裾の左側に祠が2基祀られている。
真っ直ぐ登り、左に折り返して登ると、平坦な頂上に堀切が見えている。北に主郭があり、西端に土塁が残っている。主郭の北東側下段に帯郭が残っている。
堀切を挟んで南東側に2郭があり三角点が置かれ、南東に笹藪に覆われた階段状の小郭がある。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)初め、当地に残留した里見氏一族で長野業政の家臣となっていた里見河内が一旦廃城になっていた里見城に入り、その支城として雉郷城が築かれたとも云われる。
永禄九年(1566年)武田信玄に攻められ箕輪城と共に落城した。