鏡ヶ城 (かがみがじょう) (市の史跡)
所在地 福島県喜多方市塩川町源太屋敷前畑1581 2021.5.25
鏡ヶ城 (かがみがじょう) (市の史跡)
所在地 福島県喜多方市塩川町源太屋敷前畑1581 2021.5.25
登城ルート(緑線は車道)
西側の土塁
本丸の民家
北西側土塁・説明板
説明板
北東側土塁
鏡ヶ城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 本丸は大きな民家敷地となり、北側に長さ約130mの高土塁がへの字に曲がってよく残っている。
土塁南側は2段になっており、その間に用水路が東西に設けられている。
【案内】 表記番地に向かう手前(南)の公民館に駐車できる[マップコード97 706 887*42]。集落内の道は狭く駐車スペースは無く、徒歩が良い。
北の道を右に行き、すぐ左に約100m歩くと、本丸西に着く。その先の土塁の前に説明板が建てられている(地図)。
平成十八年(2006年)1月4日、喜多方市の史跡に指定された。
【歴史】 葦名氏四天王筆頭の平田氏累代の居城と云われる。平田大隅守光範の代、葦名氏7代直盛に従って会津に入国し宿老に登用され、至徳元年(1384年)源太屋敷に築城した。その壮麗な様子を讃え地元では鏡ヶ城と呼んだと云われる。
葦名氏と伊達氏の長年の確執に伴い、天正十七年(1589年)磐梯山裾野の摺上原の合戦で20代葦名義広は敗れ常陸の父のもとに逃走し、平田氏も主家に殉じ、一族離散し廃城となった。『現地説明板』より。