奈良梨陣屋 (ならなしじんや)
所在地 埼玉県比企郡小川町奈良梨930 2015.12.19
奈良梨陣屋 (ならなしじんや)
所在地 埼玉県比企郡小川町奈良梨930 2015.12.19
池
八和田神社
北側土塁
東側堀・説明板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道296号線「奈良梨」交差点北より参道に入り、300mほど行くと八和田神社(表記番地)がある[マップコード91 889 419*17]。
拝殿北側に土塁が残り東に空堀が残る。北東空堀横に説明板が建てられている(地図)。
拝殿右側に大杉がある。伝説で天正十八年(1590年)奈良梨に入った諏訪頼忠が、所領を定める際、信州諏訪から投げた杉がこの地に、刺さったと云われている『小川町教育委員会説明板』。
【試掘調査】 平成八年度の試掘調査の結果、(東側の)堀と土塁は並行してほぼ一直線にになっており、堀の断面は「箱薬研堀」と呼ばれる中世の城館を取り巻く溝に非常によく似ている。
土塁には幾層にも丁寧に積み上げられた状況が確認された。あいにく時代を特定する遺物は出土しなかった。
平成八年(1996年)4月19日小川町の史跡に指定された。『小川町教育委員会説明板』。
【歴史】 戦国時代から江戸時代にかけて築かれた、広義の陣屋跡とされている。
天正十八年(1590年)、諏訪頼忠は徳川家康の関東移封に従い、諏訪金子城から奈良梨へ移った。