大串次郎館 (おおくしじろうやかた)
所在地 埼玉県比企郡吉見町大字大串2905 2020.7.2
大串次郎館 (おおくしじろうやかた)
所在地 埼玉県比企郡吉見町大字大串2905 2020.7.2
登城ルート(緑線は車道)
堤防からの道・遠景
西側入口
館西側奥の空堀
大串重親の宝篋印塔墓
大串次郎館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 市野川左岸の河川敷の中にあり、東西約100mの方形で、北西部は堤防下になっているようだ。
放置された竹林の中にあり、鬱蒼として中々踏み込めないが、空き地から少し入ると、空堀が残っていた。
【案内】 県道76号線が市野川に架かる「徒歩橋」を渡った北側の堤防を東に約300m行った所から斜めに下った河川敷の中にある[マップコード14 372 096*77]。狭い堤防道路より民家跡に下る入口にバックで何とか駐車出来た。
南側通路の右に住居跡と思える空き地があり、空き地の左側を覗くと空堀がある。戻って西へ100m程行って入口を入り、奥の竹林に踏み込むと空堀が2条見られ、奥の空堀は広く水が溜まっている。
北西約400mにある金蔵院(無住寺:吉見町大串2244)毘沙門堂は大串次郎重親が建立した寺で[マップコード14 371 229*21]、西70mの畑の中に、大串次郎の宝篋印塔墓がある(地図)
【歴史】 多摩郡に勢力のあった小野篁の末裔横山党が、八王子由木郷に進出した由木保経の子・孝保が大串の地に移り住んで大串次郎と名乗り、大串氏に祖となった。
その子が重親で寿永三年(1184年)当時京都を占拠していた木曽義仲討伐の範頼・義経方の畠山重忠の配下として参戦し活躍した。
文明十二年(1480年)扇谷上杉氏の家宰太田道灌に追われた長尾景春が熊倉城(日野城) に籠った際、大串弥七郎が戦功を立てている。
天文八年(1539年)吉見村で起こった「大串の陣」で管領方の大串左衛門重氏は、古河公方方の結城城主結城政勝の家臣水谷弥九郎(幡竜斎)に攻められ大敗した。『埼玉の城址めぐり(西野博道編)』より。