高麗山城 (こまやまじょう) (高麗寺山城・住吉古城)
所在地 神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9―47 2022.8.19
高麗山城 (こまやまじょう) (高麗寺山城・住吉古城)
所在地 神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9―47 2022.8.19
登城ルート(緑線は車道)
高来神社下宮
東天照
大堂への石段
大堂曲輪・石宮・土塁
西側1番目の堀切
西側2番目の堀切(八俵山直前)
高麗山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 相模湾河口近くの花水川右岸にある標高168mの高麗山に築かれている。
大堂と呼ばれる広い平坦地が主郭で、かっては高来神社上宮の社殿が建っていたが、現在は代わりに石宮が祀られている。
2郭(東天照)は狭く、主郭との間には目立った堀切はないが、主郭西の尾根には2条の深い堀切がよく残っている。
【案内】 国道1号線「高来神社入口」交差点より北に狭い道を行き、区民会館前を左折してゆくと高来神社(表記番地)駐車場がある[マップコード15 249 223*87]。高来神社右奥に登り口があり(地図)、女坂の方がはっきりしておりこちらを利用した。東に少し行き折り返して登ってゆくと、東天照との分岐があり、急な坂をジグザグに登ってゆくと、2郭とされる東天照に着く(地図)。
西の大堂方面に尾根を歩くと、浅い堀切があり、遊歩道には道標があり迷うことはない。
大堂の曲輪は広く北側に土塁があり、その前に祠が祀られている。西の八俵山との間に2条の深い堀切があり、橋が架けられている。
【歴史】 永享十年(1438年)関東公方の足利持氏が室町幕府に対して反乱を起こした際、これを討伐すべく上杉持房が陣を構えたのが始まりといわれる。
永正七年(1510年)相模国平定を目指す伊勢宗瑞は扇谷上杉定正の家臣で、相模守護代の上田政盛を調略し、扇谷上杉方と対峙した(権現山合戦)。
その際、住吉要害と高麗山城を改修し後方陣地としたという。
永禄三年(1560年)から翌年にかけて上杉謙信が小田原城を攻めた際、上杉方の陣が置かれたという(小田原城の戦い)。