宇須岸館 (うすけしだて) (箱館・河野氏館・宇須岸河野館) (道南十二館)
所在地 北海道凾館市元町12‐18 2017.7.10
宇須岸館 (うすけしだて) (箱館・河野氏館・宇須岸河野館) (道南十二館)
所在地 北海道凾館市元町12‐18 2017.7.10
説明板
元町公園
宇須岸河野館跡・説明板
箱館奉行所跡標柱
四天王像
旧開拓使函館支庁書籍庫
旧函館区公会堂
宇須岸館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 標高約26mで函館港や市街を望め観光客も多い。館跡の遺構は無く、箱館奉行所が置かれたことから、南側の元町公園を含めた一帯と思われる。
【案内】 元町公園(表記番地)の北側の舗装された広場東に説明板が建てられている [マップコード86 040 589*72] 。南部藩陣屋跡の北西約500mにある。
元町公園には旧函館区公会堂、旧北海道庁函館支庁庁舎、旧開拓使函館市庁書籍庫などが保存され、函館四天王像、箱館奉行所跡の標柱(階段左横)や説明板が建てられている。
【歴史】 松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が記されていることから、道南十二館と呼ばれる。
享徳三年(1454年)、安東政季に従って武田信広(松前氏の始祖)、河野政通らが蝦夷地に渡来した。
河野政通は当時「宇須岸」と呼ばれていた現在の函館の地に館を築いた。東西45間南北28間の広さで四方に土塁を築き空堀を巡らせていた。
長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いで陥落した。その後復興したものの、再び永正九年(1512年)アイヌとの抗争で季通(政通の子)が敗れたため、箱館は以後百余年にわたって衰微した。
18世紀初頭(元禄時代末)亀田川下流域からの住民の移住が増加し、賑わいを取り戻していった。
次いで、寛保元年(1741年)には松前藩のこの地域の行政庁「亀田番所」が河野館跡地に移されて、繁栄への基礎が築かれた。
寛政十一年(1799年)幕府は東蝦夷地を直轄地とし、享和二年(1802年)箱館奉行が置かれ、この地に箱館奉行庁舎も築かれた。箱館奉行庁舎は、明治に入ってから開拓使の庁舎となり、その後、北海道庁函館支庁庁舎となるなど、河野館跡は函館の行政の中心地であった。