竜谷山城 (りゅうがいさんじょう) (竜ヶ谷城)
最寄地 埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪1422 2018.4.3
竜谷山城 (りゅうがいさんじょう) (竜ヶ谷城)
最寄地 埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪1422 2018.4.3
登城ルート(緑線は町道)
雷電神社入口
町道のゲート(非施錠)
駐車場・西郭
空堀
2郭・神楽殿
主郭・雷電神社
竜谷山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 標高203mの竜ヶ谷山に築かれており、周囲はゴルフ場敷地となっている。南西の横空堀とそれに続く竪堀、拝殿横の土塁が残っている。
緩やかな登りで、徒歩でも苦労せずに辿りつけるがゴルフボールには注意した方が良い(ゲートは開けたら必ず閉めておく)。
【案内】 県道30号線「毛呂本郷」交差点より西に行き、三叉路を左折し約1㎞行くと「雷電神社」入口がある[マップコード91 351 662*87](地図)。
「オリムピックナショナルゴルフクラブ」の敷地を横切るが、頂上手前の参詣用駐車場(西郭)まで町道があり、安心して登れる(町道の標識あり)。
雷電神社の石碑のある所が一番狭く、ゴルフ場手前に施錠されていないゲートがあり開け閉めして、大きく左折しすぐ右折して登ってゆく。左に池を見て上り詰め、大きく右に曲がって登ると駐車場のある西郭に着く。
駐車場の北東に2郭があり、空堀がよく残っている。主郭は2段の平坦地となり最高所に雷電神社が建てられ、横に土塁が残っている。
主郭北側から埼玉医大病院などのある毛呂町が望める。
昭和五十一年(1976年)10月1日、埼玉県の重要遺跡に選定された。
【歴史】 一説には阿弥和巳之助の居城と伝えられるが、鎌倉時代以来、当地を治めていた毛呂氏の詰城と考えられる。当初、毛呂氏は扇谷上杉氏の臣下であったが、北条氏が勢力を伸ばすと離反して北条氏綱に従った。
大永四年(1524年)十月十日、上杉憲房と上杉朝興の両上杉氏が北条氏綱配下の毛呂顕繁が守る毛呂城を攻撃したことが知られているが、この時に篭城した要害が竜谷山城だと考えられ、最終的に開城した。顕繁のあと、土佐守顕季、土佐守秋重と続き、北条氏に属して各地を転戦した。
戦国末期、毛呂秋重は小田原北条氏に従い、武蔵・相模各地で戦った。天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の際、秋重以下一門は小田原の支城八王子城の守備に任じられた。
四月から攻防が始まり、六月には前田・上杉連合軍の強襲を受け、ついに落城し毛呂氏一門の多くが討死した。