大椎城 (おおじいじょう)
最寄地 千葉県千葉市緑区あすみが丘6-15 2016.1.6
大椎城 (おおじいじょう)
最寄地 千葉県千葉市緑区あすみが丘6-15 2016.1.6
登城ルート
登り口・説明板
土橋
二郭三郭間空堀
主郭二郭間空堀
主郭虎口・城跡碑
主郭
大椎城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 「ワンハンドレッドヒルズ」住宅の西端の表記番地の宅地の間を南に抜けて右に曲がると、「大椎城跡」説明板が建てられている[マップコード27 076 031*62]。閑静な高級住宅街で駐車スペースは少ない。
橋(地図)を渡って左に遊歩道が設けられ、200mほど行って、南に登ってゆくと、二郭と三郭間の空堀に出る。南辺を右(西)に行くと、主郭二郭間空堀がある。
南に下ると、宅地となり、崖崩れの復旧工事が行われていた(住宅を抜けなければならず、南からのアクセスは難しい)。
主郭は西に位置し、東西約80m南北約60mの方形であり、虎口に「大椎城跡」と刻まれた石碑(裏面側面に説明文)が建てられている。虎口に土塁が残り、その裏に井戸がある。東に同規模の二郭があり土塁が残っている。さらに東に三郭、四郭と並んでいるが、藪化している。
【歴史】 平安時代中期、上総介平忠常によって築かれた。長元元年(1028年)から同四年にかけての平忠常の乱は、この大椎城を拠点として戦われた。
平忠常の乱は長期間に亘ったが、源頼信が追捕師として下されると、忠常は出家し、子の常将・常親兄弟は甲斐国の源頼信の下に赴き降伏した。
平忠常の乱後、平忠常の曽孫で、常将の孫千葉常兼が大椎城に拠り、源氏方として後三年の役(1083~87年)で父常長と参戦し活躍した。
大治元年(1126年)、常兼の嫡子・常重が千葉城(亥鼻城)を築き、本拠を移した。その後も千葉氏の一族が拠った。
15世紀中頃になると、酒井氏の勢力が伸張し、大椎城は同氏の拠る所となった。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐により酒井氏が滅亡し廃城となったとされる。