前小屋城 (まえこやじょう)
所在地 茨城県常陸大宮市泉76 2020.6.5
前小屋城 (まえこやじょう)
所在地 茨城県常陸大宮市泉76 2020.6.5
登城ルート(緑線は車道)
西側の空堀
山門東の空堀
種生院
北西側土塁・階段
主郭南西空堀
西の郭・土塁
前小屋城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 種生院とその南に3つの郭、西に1つの郭が配置され夫々の郭は土塁と空堀で区画されていたという。
種生院と西の郭は良好に空堀が残っている。南の3つの郭は畑や民家となり土塁・空堀が部分的に見られる。
【案内】 西側の市道に案内板があり、狭い道を東に行き、北に曲がって行った種生院(しゅじょういん)(表記番地)に駐車できる[マップコード47 697 872*57]。
【歴史】 最初に館を築いたのは、佐竹氏の家臣平沢丹後守通行と云われている。
その後、小場(おば)氏5代義忠の弟義広(義澄)が前小屋村の館に居住し、城として整え、地名から前小屋氏を名乗ったという。
義広の没年が明応九年(1500年)とか永正五年(1508年)と云われ、築城はそれ以前である。
前小屋氏は義広から義次、義久、義親まで4代にわたり小場家代官として活躍したが、慶長五年(1600年)小場氏が筑波郡小田城に所替えになり、前小屋義親も小場義成に同行した為、無住のまま廃城になった。
慶長七年(1602年)佐竹氏の出羽秋田への国替えで、小場義成は桧山城代をへて大館城代を務め、前小屋氏も桧山城下、大館城下に居住した。