領ヶ谷城 (りょうがやじょう)
所在地 埼玉県さいたま市南区太田窪(大字)2235 2015.12.23
領ヶ谷城 (りょうがやじょう)
所在地 埼玉県さいたま市南区太田窪(大字)2235 2015.12.23
幸楽園看板
看板の城址名
幸楽園
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 現在跡地には鰻屋である「幸楽園」(地図)が営業しており、店舗看板に領ヶ谷城址と明記されている[マップコード3 337 579*65]。
店舗は昭和五年(1930年)に開業し、昭和半ば頃までは周辺に状態のよい土塁が残されていたが、現在は宅地開発の影響で消滅している部分が多い。
【歴史】 平安時代末期の治承年間(1177~81年)頃、佐々木守綱(盛綱)によって築城された。以後、不明である。
天正の頃、一帯は岩槻太田氏の支配地になり、断崖の上にある領ヶ谷城も岩槻城の支城として、同じく岩槻城南部の支城である寿能城と戸塚城の間に位置し、防衛ラインの役割を持っていたと考えられる。