新井城 (あらいじょう)
所在地 神奈川県三浦市三崎町小網代1024 2016.1.27
新井城 (あらいじょう)
所在地 神奈川県三浦市三崎町小網代1024 2016.1.27
登城ルート(赤は空堀土塁/水色は堀切土橋/緑は城址碑/青は道寸の墓)
大手引橋跡
油壷マリンパーク
新井城碑・道寸武勇之本地碑
道寸の墓
空堀(東京大学臨海実験所フェンスより)
土塁
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道216号線の終点にある旧京急油壷マリンパーク前の駐車場が利用できる[マップコード394 253 899*10]。
東京大学臨海実験所(表記番地)の敷地が主郭であり、東側入口よりハイキングコースを150mほど南に行った所に説明板が建てられ、フエンス背後に10mほどの長さの空堀が残っている(地図)。その南に土塁が残っている。
旧京急油壷マリンパークの前を北に行った駐車場の東に三浦義意(よしおき:荒次郎)の墓があり、「道寸武勇之本地碑」、「新井城碑」と刻まれた石碑が建てられている(地図)。又、左に下ってゆくと、三浦道寸の墓がある(地図)。
【構造】 相模湾に突き出た半島で小網代湾と油壷湾に挟まれ、三方が海に面した断崖上にあった。
陸地に通じる路は東方の堀切に架かる大手の引橋で、この橋を切って落とせばどこからも攻め込まれないように、なっていた。現在道路の両側に堀切が残る(コンクリート道)。
引橋は後に地名になったが、ここで北条勢は橋を引かれて、わずかな手勢の三浦勢に3年間も時を稼がれた。現在は関東大地震による隆起で往時の面影はうすれている。
【歴史】 築城時期は不明であるが、明応三年(1494年)に三浦道寸(義同;よしあつ)が義父三浦時高を滅ぼし、嫡子義意(よしおき)を三浦の新井城へ置き、自らは岡崎城を居城とした。
永正九年(1512年)八月、伊勢宗瑞の猛攻により、岡崎城は遂に落城した。道寸(どうすん)は弟の三浦道香を頼って三浦の住吉城に逃れ、転戦の後、嫡子の義意と共に新井城に立て籠もった。
三年に亘る籠城戦の末、永正十三年(1516年)七月十一日、三浦義同(道寸)は、北条早雲に敗れ新井城(油壷)で自刃し、嫡子の義意も戦死し、三浦氏は滅亡した。
その後、相模を平定した北条氏の城となり里見氏に備えたと考えられる。新井・三崎の両城は何度か里見氏によって攻め落とされて三浦半島南部が里見領になった時期もある。