清水城 (しみずじょう) (興聖寺城・吉水の城) (市の史跡)
所在地 栃木県佐野市吉水町739 2021.7.6
清水城 (しみずじょう) (興聖寺城・吉水の城) (市の史跡)
所在地 栃木県佐野市吉水町739 2021.7.6
山門前の説明板・標柱
北側車道入口・土塁・濠
駐車場の土塁
本堂
北東角の濠
清水城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 本丸は佐野市吉水町にある興聖寺敷地となっており、規模は東西116m南北133mのほぼ方形となっている。
本丸のほか北二の丸、南二の丸、三の丸がありそれぞれ濠で囲われた平城であった。
四方に土塁と濠があるようだが、土塁は土留めに石垣が施され、濠は鬱蒼とした竹薮になっていて、北東や南東など部分的にしか見られなかった。
【案内】 佐野市吉水町にある興聖寺(表記番地)の敷地となっている[マップコード64 639 497*12]。南東の土塁外側に駐車スペースがある。
西側は通行量の多い県道16号線に接しており、二の丸は宅地化されており、東250m付近の新吉水第一公園(吉水陣屋)までが城域であったようだ。
昭和四十九年(1974年)3月1日、佐野市の史跡に指定された。
【歴史】 『栃木県誌』などによれば、安貞二年(1228年)佐野国綱が岩崎義基のために築いたとある。その後、岩崎氏が代々居住したが、永正年間(1504~21年)岩崎義基の12代の孫・左馬介重永が岩崎城へ移り、大永元年(1521年)佐野秀綱の居城となった。
慶長十九年(1614年)佐野氏が改易となり廃城となった。
寛永十二年(1635年)興聖寺が田之入から本丸に移り現在に至っている。