龍ヶ谷城 (りゅうがいじょう) (千馬山城) (県の重要遺跡)
最寄地 埼玉県秩父郡皆野町三沢439 2015.1.24 2018.1.19
龍ヶ谷城 (りゅうがいじょう) (千馬山城) (県の重要遺跡)
最寄地 埼玉県秩父郡皆野町三沢439 2015.1.24 2018.1.19
登城ルート
登り口・道標
南尾根の堀切
主郭跡・石宮
2郭
2郭東の堀切
尾根東の2重堀切
3郭
龍ヶ谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 埼玉県秩父郡皆野町の標高321mの山頂に築かれた鉢形城の支城である。3つの主要郭から構成され、空堀、2重堀切がよく残っている。
【案内】 県道82号線より東に入ってすぐ「龍ヶ谷城跡」説明板が建てられている。約300東に行くと、表記番地付近の防火水槽の先にハイキングコース「茗荷沢コース」の登り口がある[マップコード 91 840 078*2 ](地図)。
小さな2つの社横を通って、「西の尾根道」を行くと堀切が2本あり、門跡の曲輪がある。北に竪堀があり「肩の郭」があり、西に「物見郭」がある。
少し登ると横堀があり上段の比高約140mの本丸に説明板があり、西に用土新左衛門を祀ると伝えられる石宮がある。 東に横堀、二の郭、空堀、三の郭(竹林)と下がって残っている。北東側の尾根に堀切、小郭を挟んで2重堀切が残っている。
別ルートとして標識はないが、民宿旅館竜谷閣(表記番地)の前の突き当りを右に登ると物見郭に至る。
昭和五十一年(1976年)10月1日、埼玉県の重要遺跡に選定された。
【歴史】 小田原北条氏の北武蔵の拠点である鉢形城の支城として、天神山城(長瀞町)・高松城(皆野町)・日尾城(小鹿野町)などと共に、甲斐武田氏の侵入に備え、築城された。
龍ヶ谷城は鉢形城主・北条氏邦の家臣として秩父地方を掌握していた用土新左衛門の築城と伝えられ、同じく用土氏築城と云われる花園城、天神山城と構造が非常に似ている。
秩父地方の鉱山資源に着目した武田信玄による秩父谷侵攻の戦禍が及び、永禄十二年(1569年)頃、武田氏による秩父侵攻は最も激しさを増し、同年十月には信玄自ら、秩父に在陣し、龍ヶ谷城付近でも戦が繰り広げられた。「戦場」、「向戦場」という地名は、その名残りと云われる。
天正十八年(1590年)時の関白豊臣秀吉は小田原攻めを行い、小田原城と同時に鉢形城を攻め落城させた。北条氏は龍ヶ谷城に三上外記を配し豊富勢に抵抗したが、鉢形城と共に落城し、以後廃城となった。『皆野町教育委員会説明板』より。